ご家族・ご友人が闘病(ガン)している方へ|希望の光を
*「私の作戦」で使用したグッズの紹介はこちらにまとめております。
※当サイトはあくまでも個人の体験をつづったものであり、効果には個人差があります。
ある年の6月、咳が止まらないので「なぜだろう?」と疑問を感じながら、病院へ行くと、肺ガンの疑いがあるといわれました。
そして検査入院の結果、手の付けられない末期ガン、余命1年と宣告されました。転移もあり手術もできない状態でした。
末期肺ガンと宣告されてから、現代医療だけに頼らず、免疫療法で自然に治す!!という決意をしてから完治するまで、自分が試してきたこと・自分に起きた出来事をぜひ知ってほしいと思い、このブログを立ち上げました。
誰にでも生まれながらに備わっている免疫力を目覚めさせれば、ガンは怖くはありません。
この免疫力には初期ガン、末期ガンの区別も、胃ガン、肝臓ガン、乳ガン、どのようなガンかの区別もありません。
自らの体験を通して学んだガンの叩き方、免疫力の活性化、心の持ち方を具体的に述べます。抽象論を唱えても、何の足しもなりませんので、具体的に対策方法を書いたブログとなっています。
私の経験が、今まさにガンと闘っている方、またご家族やご友人の「希望の光」になりましたら幸いです。
~私に降りかかった突然の余命宣告~
体調が悪いだけかと思っていたら
ある年、体調の悪い日が2か月も続きました。咳がとまらず、背中がエビのように丸まって伸びなくなっていましたが、病院嫌いの私はなかなか腰を上げませんでした。
しかし、そんな私に見かねた家内にひきずられるようにして、病院へ行きました。すると、肺ガンの疑いがあるといわれて即入院、精密検査をすることになりました。
「まだガンとも決まっていないのに緊急入院とは・・・」と抵抗しましたが、疲れていた私は、仕事を忘れて自分の好きなことだけしていればよいのだから『しばらくの休暇』と思い直すと、嬉しくなりました。
CTスキャン、細胞培養検査などが進み…
入院5日目に、肺がんであることを告げられました。しかも、余命1年の手の付けられない末期ガンがんでした。
ガ~ン!!!
右肺から食道、リンパ節に転移してステージ3B、手の施しようがないとのことです……頭の中が真っ白になり、現実を認めたくないのか目はうつろで足はフワフワしています。病院のウラ情報に詳しい知人に聞いたら「かなりの確率で当たりますよ、甘く見ないでください・・・」
その時の気持ちは複雑で不思議なものでした。“先生お願いします”と言って治療を受けても1年で死ぬということなのです。治療に手を尽くしても死んじゃうのです。
ガ~ン!!!
私には、まだまだやりのこした夢だってたくさんあるのに…
がんを自力で治すと決意
余命1年と言われ、ショックで頭が混乱していたが、現代医学だけに頼るわけには行かないという気持ちが湧いてきた。ガンを治せない現代治療をする前に、自然治癒力を試してみようと思った。
先のことはわからないけれど試すだけ試そう、と決心するのに時間はかからなかった。
私はこれまですべての病気を東洋医学、民間療法で治してきたので、自分の肺がん治療に応用しようと考えたのだ。しかし、免疫療法を東洋医学の基本から見直すと、不足していることが多々あり、確実性に欠ける。新しい知識を加えて、ツボを探そうと思った。
私のがん治療戦略
私の作戦は、代替療法や免疫療法といわれる民間療法を1か月試し、結果を検査すること。
これをひと月単位で次々試すのである。この方法なら死ぬまでに何通りか試せるので、どれか正解があるだろうと考えた。
今までの経験では、効果があるものは効きが早いので、1か月で変化がなければ別の方法を試す。結果を正確に知る方法として、検査のために病院に居残ることにした。(先生ゴメンナサイ)
ある本との偶然の出会い
こんな調子で入院生活が始まったが、検査の合間に本屋を廻り、一抱えの参考書をベッドに持ち込み知識を仕入れ、計画を立てた。目標は自然治癒力でガンを叩ける体にし、自分の免疫力で癌に勝つことだ。
キラリと光る本を見つけることができたのはラッキーだった。マンドゥ・ゴーナム博士の著した本で、免疫力の最新情報が載っている。
- 〝免疫細胞は原爆のように一網打尽に叩くのではなく、ガン細胞に一騎打ちを挑み、勝敗を決める”
- 〝若く元気な細胞は2個のガンを同時に叩き、5分で消滅させる。 しかし老化し弱った細胞は、ガンに逆襲され消滅する”
と顕微鏡写真入りで解説してある。つまり免疫力には質の問題があり、弱ければ役に立たない!
元気な体の血液1ccには、10億の免疫細胞があるという。私はベッドに電卓を持ち込み、キーをたたいた。計算上では数日で決着がついてもおかしくないと思った。この計算が正確かどうかわからないが、可能性を探ることは楽しかった。ショックや恐怖心を忘れて没頭し、頭はすでに反撃体勢になった。
そして、免疫力は心の状態にリンクして活性化すると書いてある!よし、これで治すぞ!と思うとワクワクしてきた。
私は免疫力を信じ、副作用の多い治療を最後の手段と考え、引き延ばし作戦を実行した。その間にガンを叩ける体になろうと考えたのだ。
ガンを自然に治すために掲げた2つの目標
結論を言えば、患部の血行回復、自律神経回復、体を温める、よく食べる、よく寝る、治る意欲を持つ、に集約できます。免疫はガンを叩く力なので、最大限に活用するように心がけた。栄養も届かず、老廃物でどろどろになった血液でブロックされるであろう患部に、血液が直撃してがんを叩くよう心の中でイメージした。
具体的には、2つの目標をたてて以下のことを実行した。
作戦1 体の中から:免疫力の強い血液を作るため健康食品をとった。
- 信頼できる筋から取り寄せた「アガリクス」(きのこ)で免疫力アップ。
NK(ナチュラルキラー)細胞が元気になる。 - 沖縄の猛毒海へびのエキス「えらぶ」
体力の回復と排毒をした。 - 水道水をラジウム鉱石に浸した「ラジウム水」
温泉を飲む「飲泉」と同じで内臓から活性化するのを実感した。 - 食べたいものを腹いっぱい食べた。
作戦2 体の外から:全身の血行を改善し、特に患部に血液を集中させる。
- 「お利口さん」というラジウム鉱石を粉砕して袋に詰めたグッズを用いた(ラジウムパッド)。
これを患部付近にあててベッドで岩盤浴をして血液が患部に直撃するようイメージした。微量放射線のホルミシス効果を期待した。 - 「放電灸」(ピッ○エレキバンのような絆創膏)を背中に貼り患部の血行改善と、背中のコリをとって自律神経を改善した。(実はこれは私の発明品)
- 家の風呂をラジウム温泉にした。病院を抜け出してはラジウム温泉に入り一杯やるのが楽しみで気分転換にも役立った。ラドン効果で体がよく温まり、リラックスできた。
※使用したグッズはこちらで詳しく紹介しています。
これで免疫力を高め、全身と患部の血行を旺盛にして、免疫細胞にがん退治をお願いしたわけです。
毎日のように病院を抜け出しては自宅の風呂に入り、一杯やるのが入院生活の楽しみだった。30日の入院中、15日は自宅に帰った悪い患者だったが、「もうすぐ死ぬんだから」(とは言わないが)検査入院ということもあり先生は大目に見てくれた。
ストレスが免疫力を減少させるので、マイペースで過ごすことに決めた。食事も食べたいものを食べ、風呂上りには大好きなお酒も楽しんだ。服装も病人らしくする必要はないと思い、気分はリゾートに。パジャマじゃないから外出時も便利だった。
私の作戦はひとつひとつは弱いものに思われるでしょうが、相乗効果を狙ったものなので、全部の要素が好転すると驚くべき力が発揮されます。そして、中ごろから食欲旺盛になり、体が充実してくるのを感じるようになった。背筋が伸びて胸が開き、堂々としてきた。この体ならガンを自然消滅できると、自信のようなものが湧いてきた。
2度目の検査結果
入院して25日目頃、ドクターから今後の治療をどうするのかお話があったので、2度目の内視鏡検査と生体細胞検査をお願いし予約を入れ、4日後と決まった。あんなに苦しい検査をよく2回もする気になりましたねという声もあったが、“もしかして”の気持ちには変えられない。
そして……
その結果は……
な、なんと、ガンが消失していた!!!
これには私もビックリです。
ヤッター!!やるときゃやるもんだ!!
1回のトライで大成功とは、自然治癒力の強さと、反応の速さに改めて驚かされました。ウッソ〜〜!?とお思いでしょうが、余命1年というのは、病院治療を受けると副作用で免疫力が低下するため、転移、再発を前提に予測したものです。治療を繰り返すうちに体力を消耗して、ガンに負けるのです。
奇跡の生還をした人は、転移、再発を自分の免疫力で断ち切った人です。これを防げば、ガンは風邪と同じ一過性の病気に過ぎず、怖い病気ではありません。
結末とその後
最初のトライでガンが消えてしまったので、30日で退院することになりました。ドクターは私が勉強した本が欲しいとおっしゃり、資料一式を病院へ寄贈して退院しました。
余命1年の末期肺ガンから、奇跡の生還でした。
その後、なんども反芻しては気持ちを整理し、「奇跡だけれど奇跡ではなかった」と確信するに至りました。理解すれば誰にでもできる、簡単で薬害もなく体に優しい方法です。私が掴んだコツのようなものを、どなたにも再現できるように、文字にして残しておこうと思います。
次の章から、私が学んだ事柄を、少し詳しく述べていきますのでご期待ください。
※「私の作戦」で使用したグッズの紹介はこちらにまとめてあります。
いつでも読み返せるようにブックマークに登録してネ